阪急うめだ個展終了後、大阪からもどり、鹿児島空港で姉と妹に合流〜
迎えに来た嫁の車で人吉へもどると、小さく、冷たくなった母が待っていた。
5人の兄弟姉妹が揃うのは、父の33回忌以来だ。
仮通夜をすませ、翌日の通夜の送り出し、映画おくりびとのように、皆で旅立ちの支度、細く曲がってしまった母の足に足袋をはかせ、脚絆をまき、小さなポシェットに、母が大事にとっていた、古い紙幣を入れてあげた。
三途の川の渡し守の駄賃だとか。
通夜や葬儀には遠来の友人達を含め、たくさんの方々の参列、ご厚意をいただきました。
ありがとうございました。
葬儀のあと、母は小さなお骨となり、私の作った、お地蔵さんの骨壺に眠っている。
葬儀のおり、オカリナ奏者の弟の主催の音楽会の映像が流れた。
人吉ゆかりの旅愁が始まった時、映像の中の母に明らかな変化があった。
顔をくしゃくしゃにしながら、涙を流していた。
口を動きは、まさしく、歌おうとしているではないか!
母の痴呆はかなり進行しており、私が訪ね、呼びかけても、全く反応しなかった。
だが、この旅愁の歌には、心が動いている。
音楽というものには、そういう力があるのだ。
母は何も解らなかったのではなかった。
私がそう思いこんでいただけだったのだ。
枕元で一緒に歌ってあげればよかった・・
つくづく思う〜
あの音楽会の日、弟が誘ってくれていた。
忙しさの中で、私は忘れてしまっていた。
ほんとうに大切なことを・・・
忙しい〜という文字は心を亡くすと書く。
私は、忙しさの中で、心を亡くし、大切な母親まで亡くしてしまった。
それでも、今日も窯焚きの準備で、相変わらず忙しい。
これ以上、大切なものを亡くさないよう、何が大切なのかを、考えながら仕事をすることにしよう・・・
忙しい日々の中、母親の通夜も葬儀も努めることができたのは、母がきっと待っていてくれたのだ・・・
母さん、安らかに眠ってください・・・