ちょっと凹んでいる娘へメールを送りました。
励ましになっただろうか?
いつか、ちゃんと話さなくてはいけないなあ〜と思っていた。
人はどんな生き方をしようが、自由なのだが。
知らないで、解らなくて、他に選ぶものもなくて〜
その道しかないのなら仕方がないのかもしれない。
だけど、本当はいろんな生き方があり、生きていくうえでその道筋をしめす地図や羅針盤があるものなら、そして、それを私が持っているのだとしたら。
私は貴方にそれを与えねばならない。
私達は何者で、何処から来て、何処へ行くのか。
どうでもいいと思う人にとっては。
どうでもいいことなのだ。
だけど、私にとっては大切なことだ。
これまでの人生に必要なことは、大方のことをお母さんから学んだはずだ。
たとえば自分がされて、いやなことは絶対に他人にしてはいけない〜
そこには、大きな意味がある。
人生の中で、一番大変なのは他人との関わり方だ。
辛い思いをするときは、ほとんどが良くも悪くも他人が原因であることが多い。
人間が独りきりで生きていくのなら、何も問題はない。
着飾ることも美しくあることもいらない。
だが、それは死んでしまうのと同じくらいつまんないことに思えないか?
人間はほめてもらうために生きているようなもんだよ。
誰に?
誰でもだ。
それが愛する人ならなおさらだ。
仕事もいい仕事してるねと言われたい。
きれいな、ファッションなら、ステキだねと言われたい。
誉めてもらいたいという願望がこの世界を良くしている〜と言ってもいいくらいだ。
親は子供を誉めてあげたいから、叱るものなんだ。
誉めてもらいたい!
いいねって言われたい。
だから、フェイスブックにも、いいね。があるのだよ。
お父さんは、世の中のたくさんの人に誉められたくて、仕事をしている。
たくさんの人に誉めてもらえるから、たくさんの作品を作る。
自分で自分を誉めるだけでは悲しすぎる。
だから家族がいるし、友達もいる。
ひとりぼっちでは、誰も誉めてくれる人がいないということなんだ。
だから、私達はまわりの人を大切に思わなければいけない。
人間どおしのおつきあいは、とても大変だが、とても大切だ。
それでも、人と関わることに疲れたら、人吉に帰って来なさい。
少し休んだらいい。
お父さんもお母さんも貴方をいつでも待っている。
今日、和歌山の個展会場でトイレに行ってるあいだに、誰かがお布施と書いて、お米券をおいてあった。
やさしい生活〜御自愛ください。
のメッセージを添えて〜