宇都宮〜金沢の4時間に及ぶJRの旅に備え〜
宇都宮東武にて分厚い文庫本を買っておいた。
何人かの友人から、読むべき本の一冊として挙げられたのが〜
百田尚樹著
永遠の0
だったのだ。
第二次大戦の話は以前に、原爆をフィリピンに運んだ帰路の米国戦艦インディアナポリスを撃沈した、日本海軍伊号58潜水艦の橋本艦長のノンフィクションを読んで涙したのだった。
永遠の0はノンフィクションのようでありながら〜
主人公〜宮部久蔵は実在しない〜
だが、彼のような男は沢山いて〜
命がけで戦い〜
みんな死んでいったのだ〜
あの、長寿番組の探偵ナイトスクープを構成していた百田尚樹氏の構成はさすがで〜
退屈になりがちな戦記として記すのではなく、証言として語らせていく手法をとることで、私たち読者は、まさしく立ち会い、話を聞いているかのような状況下でどんどん引き込まれていったのだ!
高場英二 号泣でした・・・・
この機会に私が実際に聞いた第二次大戦の話を残しておこうと思います。
一昨年、京都のギャラリーにしかわで個展を開いた時のこと〜
山田さんという老人が私に語られたことです。
桜花という兵器を知っていますか?
私は桜花に乗っていました。
えっ、ちょっと待って下さい〜
山田さん、何年のお生まれですか?
昭和七年です〜
え〜っ、それじゃ、当時は何歳だったのですか?
終戦時13歳でした・・・
桜花は特攻兵器です。
爆弾にジェットエンジンを取り付け、人が乗り込み操縦しながら目標に突っ込むために作られました・・
私たちの小学校に海軍士官がやってきて、その候補生を選抜し、私もその中に選ばれ訓練を受けることになりました。
私は小柄でしたが、運動は得意でした〜
桜花には体の小さい子供のほうが有利と考えたのでしょう〜
その作戦の基地は比叡山にありました。
飛行機に吊り下げて出撃するのではなく〜
比叡山に建設された、カタパルト発射台から出撃し〜
飛来した爆撃幾B29を撃破するのです〜
様々な特別な訓練を受けましたが〜
家族にも誰にも、そこでの話はしてはいけないと言われていました。
出撃の日が来る前に戦争は終わりました。
これまで、誰にも語るべきではないと思っていました・・・
山田さんはずっとしまい込んで生きてこられたのです〜
あの戦争が、あと少し終わるのが遅かったら〜
私たちのこの国はとんでもない過ちを犯すところでした!
子供を特攻兵器に乗せて敵幾に体当たりをさせようとしていたのです。
アフガニスタンや中東の内戦の映像に子供が銃をもつ姿が当たり前のように映る時代ですが、子供を特攻兵器に乗せることを考えだした日本人を私は許せません!
そんな時代だったのだ!
そういうことではないです。
時代とかのせいじゃないです。
子供を特攻兵器に乗せようと〜
計画、実行しようとした人達に聞きたいです。
あなた方の実の子供を桜花に乗せることができますか?
現在、山田さんは80歳を超えられていますが〜
いつか、この話をきちんと伝える準備をするから〜と言われました。
私はその後、お会いしていません〜
山田さんの健やかなる日々と志成される日を心からお祈りします。
こんな形でこのような話を書きましたが〜
良き機会となることを心から祈るばかりです。